#18 不正はルールだけでは対応できない

絶えることのない会計不祥事

過去から現在に至るまで、会計不祥事と呼ばれるものはなくなりませんねー。
最近で言えば、東芝事件は記憶にも新しくまた印象深いものでした。
細かいものも含めれば、会計不祥事は毎年起こっています。

私が試験合格する少し前だったか、サーベンス・オクスリー法(いわゆるSOX法)というのが制定されました。
確かこれは90年代後半から2000年代初頭に生じたエンロン事件やワールドコム事件を受けてのものだと記憶していますが、当時から不正に対する社会的アンテナは高くなっていたんでしょう。
その後日本でも不正に関連する主な監査関連制度としては、
・内部統制制度(J-SOX制度) 2008年~
・不正リスク対応基準  2013年~
があります。不正リスク対応基準は、その直前にオリンパス事件や大王製紙事件が世間を賑わしていて、これが関係しているように見えます。
また、監査業務でも、不正に対する監査手続へのフォーカス度は年々高くなっている印象です。
こうやって振り返ると、不祥事が起きる度?に、ルールにルールが重ねられてきている印象を持ちます。
日本だけでなく世界的にです。

不正への対応 ルールの厳格化&倫理観道徳観

先に私の意見を述べますが、不祥事を防ぐために細かいルールで企業を雁字搦めにするのは、私は好きではありません。
ルールが全く不要とは思いません。形を整えることで意識が定まる面もあると思いますし、外観的信頼には効果もあるでしょう。
その点は社会的にも意味合いはあるとは思います。
ただ、私が個人的に違和感を感じるのは、
・ルール絶対主義者の発生 → ルール対応しないと不正を見逃すと思ってる人、言い換えればそれでホントに見つけられると思ってる人がいる(ような気がする)
・ルール逆手利用者の発生 → 「ルール対応したらあとは知らなーい」と思う人がいる(ような気がする)
・ルール同調圧力化の蔓延 → 「責められるから対応するか」というムードになり、同調圧力化してしまう(ような気がする)

細かくルールを作り過ぎても、抜け穴、逆手に取った行動を取られたら無意味です、どころか無駄が増える。

私はこういうルールにも一定の効果はあると思うので、その存在に全否定ではありませんが、
とにかくルールに寄りかかり過ぎないことが大切なのではないかと思っています。
ルールがあっても問題は起き得る、と考えておかなければならない。
ルールを作った分だけ問題が解決するわけでもない。

理想バカ、古臭い精神論者だと言われると思いますが(別にそれ自体自分でも全否定はしませんw)、
ルールを作るだけでなく、「人間とはどういう生き物で、何が正しいのか」という、基本的な倫理観や道徳観といったものを大切にしたい。
(きっと前者は即効性や明瞭性がある一方で後者は真逆なので、対策として行いづらいのもあるのだと思いますが。)

西洋医学東洋医学に例えるならば、昨今は西洋医学的な考えに偏り過ぎているような。
悪いものは取り除けさえすれば良くなる、的な。
悪いもの(課題と訳しておきます)は、規制等を敷いて取り除く、という手法も大切だとは思いますが、取り除けばいいんでしょ、取り除こうとしたんだからいいんでしょ的な。

内面に向き合うことを考えたい

不正なく健全な組織を作るには、やはり実質的な内面に向き合う必要があると思っています
トップ(マネジメント)の哲学、人間観、自由闊達な意見を言える組織風土等が、根本的に不正や不祥事を抑制すると信じています。
ただ、こういったのは、短期的に醸成するのは難しいです。
醸成の仕方も難しい。
でも、ここを考えないと、いつまでたっても不祥事はなくならないと思います。

そもそも、人間って、一部を除けば基本的には善良な人物が多いと思うんですよ。
ちょっとズルをしたり、ちょっと誤魔化したりもする。でもそれって私なんか「人間らしいな」って思います。それくらいあって普通じゃんって。それはそもそも「不正なの?」そこまで「悪なの?」って。
どんどん清廉潔白になっていって、少しの悪も許さん、みたいになると、逆に人間らしさも薄くなっている気がしていて。
きっと「不正」に対する判断軸を、私があまり納得できていないんでしょうね。

あ、こんなこと言う私は会計士失格かもしれません。
でも、会計士としての私の姿勢を許さなくなる風潮になったら、それはしょうがないかって思っています。

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